ユースホステルがオープンした頃は、知床半島や西表島あたりと大差ないくらいの秘境でした。今は佐渡一週道路があるので便利になっています。けれど公共交通機関を使うと不便なのでレンタカーでまわったほうが無難です。あと、佐渡で一番景観が良いのが外海府であり、佐渡一番の見所が外海府なので、佐渡に来たら、このユースホステルに泊まらない手はありません。海まで徒歩1分であり、客室はオーシャンビューなので、海好きには絶好の宿です。
上の写真が外海府ユースホステルの玄関です。古民家風ですが、築年数はあさく、新しくて古き良き日本建築の面影をのこしています。ちょうど真ん前がバス停です。郵便ポストの隣にあるのが、バス停の標識で、ここが始発と終点になります。
あと宿の施設の写真を紹介します。
古民家風ですが、バリアーフリーで、老人も車いすも安心して泊まれます。廊下の広さに驚きますが、この地方の宿は、200年前から、もともとこういう作りだったそうで、外海府ユースホステルは、江戸時代から旅籠を続けて200年以上続いた宿屋だったそうです。いまでこそ辺鄙な外海府も、江戸時代は、佐渡金山に物資を送るために日本全国から廻船がやってきたそうです。
そういう歴史のある土地で、外海府ユースホステルの近くには、岩屋観音などの見所もあります。下記の写真を御覧ください。
これが岩谷観音で、そこに岩谷山洞窟があり、天井には「南無阿弥陀仏」が書かれており、弘法大師が筆を投げ上げてスラスラ書いたと言う伝説があります。
洞窟の奥には竜眼の池があり、海鳴山という岩があります。岩の方から波の音が聞こえるのです。岩が凹面鏡のような形になっており、海岸の潮騒が反射して岩から聞こえます。
これらの岩谷山洞・岩谷観音・岩谷山洞窟は、外海府ユースホステルのすぐそばにありますが、掃除などかかさずに管理しているのが、外海府ユースホステルのマネージャーさんです。もちろんマネージャーさんの御先祖様のお墓もそこにあります。墓も大小ありますが、昔の大きい立派な墓は、その頃、相川金山に物資を運んで大儲けした御先祖様だとか。
それから外海府ユースホステルの食事ですが、絶賛ものです。海の幸がふんだんに出てきます。なにより、ご飯が美味しいので、マネージャーさんに聞いてみたら、やはり自家製でした。ユースホステルの裏側に無数の棚田がありますが、それらは全部、外海府ユースホステルの土地で、背後の山もそうで、昔はキノコ栽培もしていたとか。なので、この付近の土地の地主さんでもあります。グリーンツーリズムそのものなので、農家民宿のようなユースホステルです。
とにかく、お米と海の幸が美味しいですね。海の幸は禁漁の時期の関係もあって季節ものですから、それを期待される方は、時期を選んでください。お米も、新米の出る秋に行くと、最高の御飯が食べられます。私は、11月7日の秋に訪れた関係上、最高に美味しいカニと、日本一美味しいお米をいただきました。
そもそも外海府ユースホステルのマネージャーさんは、佐渡出身ではありません。新潟県一の都会である新潟市からお嫁に来た元ホステラー(旅人)さんです。外海府ユースホステルが気に入って入り浸るうちに、旦那さんに見初められて嫁さんなった人です。
奥さんが外海府に嫁さんに来た頃は、佐渡の岩谷口は、秘境も秘境。知床や西表島と何ら変わることのなかった場所です。なにしろ鮭のような巨大なイワナが釣れるくらいですから。
45センチの巨大イワナ
あと、ここ(岩谷口)は観光開発されていません。巨大な滝や石仏や洞窟が旧道などがワンサカあるのですが、郷土資料にも何かの本にも書かれてなく、したがってネットにも観光ガイドの本にも書かれてない秘密の名所がたくさんあるところです。それらは乱開発を防ぐためにも、あえて、ここには紹介しません。
そういうところが、たくさん残っているのが、外海府の岩谷口です。最後に残された佐渡の秘境であり、佐渡で最も開発の遅れた地域なんです。昔はもっと不便でした。そういうところにお嫁さんにやってきたわけですから、ずいぶん苦労しただろうし、宿の仕事で手一杯だったと思います。その奥さんが旦那さんに先立たれて一人で宿をまわし、棚田で米まで作っていますから、昔は定員24名だったのに、今は半分の12名しか御客様をとっていません。なので宿も、ゆったりとしているようです。
かなり御高齢のマネージャーさん
もともと旅人で新潟市から佐渡にお嫁さんに来た方です
最後に外海府ユースホステルから散歩してみては
写真をとった風景を紹介します。
外海府の岩谷口とは、こんなところです。
岩谷口はバスの終点です。しかし、この岩谷口には、江戸時代から200年以上もつづいた旅館がありました。これが後の外海府ユースホステルとなる外海府旅館です。こんな辺鄙なところに、200年も前から、何故?大きな旅館があったのか?
今でこそ寂れている岩谷口も、江戸時代初期から中期にかけて大量の船が出入りする一大貿易拠点だったからです。取引先は、津軽・秋田・新潟・敦賀・下関・瀬戸内・大阪と広範囲に及び、岩谷口は大商業地帯になっていた時期があったのです。もちろん相川金山へ、資材・農産物・日用品などを送るためです。外海府ユースホステルの御先祖様も、大量の薪炭を相川金山に供給するために大もうけした口で、自宅を旅籠にして、おとずれる商人たちを宿泊させたりしています。それが外海府旅館です。
登山家・中村謙も、渾身の力作『山小屋の旅(昭和41年発行)』で彼は、内海府の虫崎から外海府の岩谷口までの海岸歩きコースを、「怒濤が岩をかんで作り出した大自然の芸術は、まさに壮美というほかはない」と手放しで絶賛して、ハイキングコースとして多くのページを割いて紹介しています。そして外海府旅館を紹介しています。
幕末の探検家・北海道の名付け親である松浦武四郎の佐渡日誌によると、岩谷口について、こう記録しています。
「岩谷口村には25軒の民家があり、碇のかかりのよい浜である。そして村には観音堂・薬師堂があり、村を流れる川には土船大明神というものがあると。土地の人に聞いた話では、ここに住む団三郎狸が色々の悪さをして農民を苦しめた時に、ここにいたウサギが土の船を作ってその団三郎狸を乗せて大いにタヌキを苦しめたと言う話である。それからは狸も農民に悪事を働くことはなく、これよりこのウサギを土船大明神として崇拝し、秋と春に2回の祭りをしているそうである」
とあります。ようするに民話『カチカチ山』のことです。『カチカチ山』は、佐渡・岩谷口の民話なのです。江戸時代、岩谷口には、岩屋衆と土船衆がいました。岩屋衆の草分け衆が、外海府ユースホステルの御先祖様つまり矢部源四郎で、土船衆の草分け衆が船登源兵衛(民宿源兵衛)の御先祖様になります。この土船衆の守護神がウサギなんですね。そして、それを祭ったのが土船神社(土船大明神)。しかし、土船神社は、明治時代に岩谷神社(龍を祭っている)と合併して、両宮神社となっています。話のタネにぜひ寄ってみてください。
外海府ユースホステルの屋号
両宮神社(Googleマップより借用)
外海府ユースホステルデーター
公式サイト
http://www.jyh.or.jp/info.php?jyhno=3118
http://sotokaifu.jp/
〒952-2201 新潟県佐渡市岩谷口131
TEL:0259-78-2911
FAX:0259-78-2931
収容人数 / 12人
チェックイン / 15時〜18時(夕食予定者は18時まで)
チェックアウト / 〜10時
休館 / 12/20〜1/3、その他臨時休館あり
夏は海水浴、釣り。春には山野草との出会い。秋はユースの田んぼでとれたコシヒカリ。10月〜11月はサーフィン可能。冬は佐渡がうまいよ!ブリ・カニ・エビ・カキ・タラなど。(日本ユースホステル協会のサイトより)
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