2008年05月20日

MGユースホステル・森岡ママ死去の衝撃

MGユースホステル・森岡ママ死去の衝撃

 2008/5/13 MGユースホステルの森岡ママが、お亡くなりになりました。心より御冥福をお祈りしております。

 森岡ママは、広島県内初の民営ユースホステル開設者で、広島で被爆した夫で元新聞記者の故敏之さんと1959年に開設した「自然の森MGユースホステル」は、全国の30万人以上が利用したと言われています。森岡敏之さんは、マッカーサー元帥に原爆の怒の鉄拳をふるった唯一の日本人でした。

 終戦直後のマッカーサー元帥は、皇帝のごとく絶対権力をふるっていましたから、その彼にたてついた森岡敏之さんは、逮捕されても仕方なかったのですが、回りの人間は、彼をクレイジーと判断し、原爆後遺症で気が狂ったとされ、ことなきをえたと言います。

 そうです。森岡ママの御主人は、原爆後遺症で苦しみながら、死んでいったひとなのです。

 しかし、森岡ママの御主人は、そんなことでは負けなかった。全国をユースホステルを使って旅をし、ついには、広島県内初の民営ユースホステル開設してしまった。と言っても、施設的には日本最小、いや世界最小のユースホステルだったとか。

 どのくらい小さかったかというと、
 たった四畳半一部屋。
 他に何も無し。

 ここに何人も寝泊まりし、人数が、あふれると、近くの旅館に宿泊を御願いし、近所の公園で、星空の下でミーティング(お茶会)をしたと言います。

 こんな最低の施設ならば、今ならクレームの嵐だったでしょう。しかし、当時の御客様たちは、違っていた。星空の下、露天の公園で行うミーティングに人々は酔いしれました。森岡敏之さんの原爆の話に、こころから感動し、森岡敏之さんや、森岡ママに元気をもらったと言います。そして、大勢の御客様が訪れるようになりました。

 すると森岡敏之さんは、四畳半の掘立小屋を一つ二つと作りました。四畳半の掘立小屋には、
「旅情庵」
「道中庵」
「原爆庵」
といった名前がつけられました。ここで

「どこかで聞いたことがあるな」

と思った貴方、さすがですね。ユースホステルを良く御存知ですね。そうです、木曽旅情庵ユースホステル・仙台道中庵ユースホステルの創設マネージャーさんは、広島MGユースホステルの、かっての常連さんであり、森岡敏之さんからお名前をいただいたんですよね。


MGユースホステル

〒729-3423 広島県府中市上下町矢野470-1
TEL:0847-62-3244
FAX:0847-62-3244
収容数 24人

ホームページ
http://www.fuchu.or.jp/~mgyh/
http://www.jyh.or.jp/yhguide/chugoku/shizenno/index.html
http://www.hiroshima-ic.or.jp/hic/exchange/summit/meibo/207mgyouth.html
http://japyha.com/page/mg.html

詳細地図
http://www.jyh.or.jp/yhguide/chugoku/shizenno/map_g.html
http://www.mapion.co.jp/phonebook/M05008/34208/0847623244-001/

交通: 福塩線備後矢野駅下車 徒歩30分 または備後矢野駅からバスで矢野温泉行5分終点下車 徒歩3分

施設: 木造2階建て(’92年増改築)。 休館: 臨時休館あり
posted by 北軽井沢YGHマネージャー at 15:33| 広島県のユースホステル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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